ひとりの熱狂的な研究者からスタートした沖縄・本部町の「アセローラ」
中国戦国時代を舞台にした人気漫画『キングダム』。大将軍を目指す少年、信(しん)が地位も何もない状況から戦歴を重ね、自分の隊を持ち、仲間と共に成長していく姿が描かれています。
信の生き方は「熱狂」そのもの。幼少期の夢にまっすぐ向かい、新しい国づくりに熱狂し、関わる人たちを強力なエネルギーで巻き込んでいきます。ついていって大丈夫か? この戦いは勝てるのか? 仲間に不安が生まれるたびに、自身の熱狂でその場の空気を変えていく。その巻き込み力にいつも心を打たれています。
沖縄の北部に位置する本部町を訪ねた時、この土地の未来に熱狂的だった研究者の存在を知りました。並里康文さん、2009年に50歳でその生涯を終えるまでアセローラの栽培と普及に尽力した方です。
「学生結婚をした母と二人三脚で、故郷の本部町でのアセローラ栽培を開拓してきました」。そう語ってくれたのは三男の並里サブローさん。本部町のアセローラ普及の中心「農業生産法人 株式会社アセローラフレッシュ」で製造部門を担っています。
サトウキビから脱却し、新しい産業が必要だった
本部町の主農業はサトウキビ栽培でしたが、重労働のため高齢化する農家に負担がかかることから、サトウキビに代わる産業が必要だと考えていた康文さん。「父は大学1年で講義を通してアセローラの存在を知り、大学院までの6年間、アセローラの研究に没頭したそうです」。
アセローラについてわかったのは、①ビタミンCが最も多く含まれている果物 ②当時、アメリカでビタミンCブームが起こっていた ③戦後の沖縄を復興させるべく、1958年に熱帯果樹であるアセローラがハワイから持ち込まれていた ④しかし、沖縄の土地に根付かず普及しなかった。
アメリカのブームは10年後には必ず日本に来るはず。そう確信して、沖縄に現存するアセローラの樹1本を探し出し、栽培方法を研究。本部町で推進していこうと決めました。
「アセローラ栽培をしようと地元の農家200軒以上を夫婦で説得して回ったそうです。これからの本部町を支える産業になると説くも、研究者に何がわかるのかと賛同を得られませんでした」
聞いたこともない作物に切り替えるのはリスクが大きい。儲けの確証はあるのか? 失敗した時の責任は誰がとるのか? 実績がないゆえ不信感が付きまとい、戸を叩いては断られて・・・を繰り返す日々。
農家側の立場で考えればその気持ちもわかります。日々の生活に懸命に取り組んでいるなか、想像の及ばないことに生活の糧を預けるには不安が募る。先が危ういと頭ではわかっていても、新しい道に舵を切るのは、多くの人にとって相当の覚悟を必要とするはずです。
それでも、高齢化が進めばもっと厳しくなると説得を続け、ついに8軒の農家がアセローラ作りに協力してくれることになります。
「仲地 正光(まさみつ)さんという農家さんがいました。話を聞いてすぐ、自身のサトウキビ畑を伐採して、アセローラに切り替えてくれただけでなく、周りの農家さんに『やってみようよ』と働きかけてくれたそうです」
1982年、大学院を出た直後から動き出し、8戸の農家と共に熱帯果樹研究会(アセローラ生産者の会)を立ち上げたのが7年後の1989年。本格的にアセローラ栽培に乗り出します。
沖縄の農業は台風対策と共にあるため、選定により低木化するなど土地に合わせた栽培方法を確立。果肉が軟らかく一粒ずつ手作業での収穫が必要ですが、力を必要としない分、高齢でも取り組みやすい。年5回の収穫ができることも台風被害のリスク分散につながりました。
次の課題が、流通と販売。収穫できても換金できなければ経済基盤を作れません。そこで、「アセローラフレッシュ」を立ち上げて栽培支援の他にも、流通・販売の道筋を模索してきました。
「誰が作ったアセローラか、見れば分かる熟練です」
アセローラフレッシュに集められた果実は、追熟を経てつややかで真っ赤に色づきます。よく見れば、トマトと書かれた箱があります。
「収量が増えるまでアセローラ専用の箱を作ることができず、ずっとトマト用を使っていました」とサブローさん。「8軒からスタートして、現在は本部町28軒、町外24軒。計52軒の農家が栽培しています。跡継ぎ問題や高齢化で減りましたが、最盛期には本部町で40軒ありました」
ここは、農家から持ち込まれたアセローラの選別と洗浄の場。「5名の女性たちが担当してくれていて、勤続18年選手もいます。実を見れば、あぁこれは○○さんのねって、生産者を当ててしまうスペシャリストです」
果肉がやわらかく、収穫後は日持ちがしない。市場では出回りにくい繊細な果物。完熟の味わいをそのまま届けるために、主に、ピューレなどに加工されてドリンクやドレッシングなどの材料として流通しています。旬の時期、現地に来れば生の果実を食べることもできるため、収穫体験と観光を結び付けて本部町の活性化にも繋がっています。
直営のパーラーの一番人気は「アセローラフローズン」。2015年に「ニッポン全国ご当地おやつランキング」で1位を獲得し、人気テレビ番組での放送をきっかけに大ブームになりました。
駐車場は5台も入れば満杯なほど小さなパーラーですが、「グランプリ獲得をきっかけに、下の国道まで長蛇の列が続いてしまうくらいの人気」ぶりだそう。その距離、軽く1キロはありそう・・・。本部町には「沖縄美ら海水族館」があって道中に寄る方も多くいるとか。
歴史を紐解けば、アセローラに未来を託した一人の青年に行きつきますが、本部町が「アセローラの町」と知られるようになったのは、確証のない作物の栽培に舵を切る判断をした生産者たちの開拓精神です。そして現地で出会うのは、過去の苦労など吹き飛ばさんばかりのこの笑顔。サブローさんをはじめ、働いている方々が溌剌とチャーミングなこと!
「写真、撮っていいですか?」と聞くと「いいわよー」とアセローラの看板娘こと選定スペシャリストの皆さん。「いえ・・・。アセローラじゃなくて皆さんの写真を・・・」「あらー、私たちを撮るの? あははは。みんな、私たちだってさ!」。
爽やかな空の下、時にお茶タイムを楽しみながら真っ赤な果実を手にするチーム・アセローラ。ビタミンCとパワーを摂取しに、旬の時期の本部町へぜひ足を運んでみてください。オススメはGWの後。5月12日が「アセローラの日」に制定されていて、収穫シーズン到来を知らせる一日になります。
株式会社料理通信社 広報担当
浅井 裕喜(あさい ゆき)
食情報を伝えるメディア、料理通信社の広報担当。Facebookやtwitter、instagramなどSNS公式アカウントの“中の人”でもあり、読者やファンの声を拾いながら密なコミュニケーションを図る。
◎雑誌『料理通信』:http://r-tsushin.com/magazine/
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